大学の1回生から2回生に上がるときに、オ-ストラリアのキャンベラ郊外の民家にホ-ムステイして大学の聴講生として3ケ月通いました。こちらの大学で、英語はかなり勉強して、TOEICの750点あり、普通の生活には困らないだろうと思っていましたが、現地の人たちが話し出すとわからないことが何度もありました。特にホ-ムステイさせてもらっていたファミリ-の家では、主人の話す少しなまった早口の英語が、ほとんどわかりませんでした。ただ長い時間、一緒にいるので怒っているのか、喜んでいるのかは大体わかるようになりました。
昼間は大学に通うのですが、ホ-ムステイしている家からバスで30分揺られて通いました。このバスの運行が極めてアバウトなので始めはイライラとしておりました。不思議なもので、1月立ったころには、バスは遅れるものだというのが普通に感じられるようになりました。道はこんでいるのは見たことがありませんでしたが、よく遅れました。
大学に行くと、日本から一緒に来た日本の学生が沢山いたので、白人世界の中でポツネンと一人ということはありませんでした。授業も、聴講生だということで、ゆっくりと話してくれるので英語が上手くなったのかと勘違いするほどでした。ウイ-クエンドは授業がないので、ジトニ-のあたりまで足を伸ばしてオペラハウスも実物を見てきました。迫力はありました。
あっという間の3ケ月でしたが、ホ-ムシックにもならず快適に過ごすことが出来ました。たぶん、メ-ルとかカメラを回して会話を日本の家族と出来たので、一昔前の留学とはだいぶ改善されているのだろうなあと思いました。
メグミ 20歳 女性