英語リスニング力を「仕事力」として考察してみる④

上達法
スポンサーリンク

こんにちは。プロとしてはいまいちな英語リスニング力の筆者、ころすけです。どのくらいだめなのかは、前記事で述べたとおりです。英語が話せない人からすると一見して「デキる」ように見えがちですが、筆者の仕事中の姿を1時間、2時間と観察するごとに「この人、相手の言うこと本当にわかっているの!?」とツッコミが来そうですね。だいたい理解しているのですが、時折ネイティブ同士の話すスピードについて行けずに、聞き返しやわかったフリをすることも少なくありません(わかったフリがバレたときには、かなりまずいと思います)。
世の中にある”英語を使った仕事”で、筆者のレベルは実際どのくらいセーフなのか、アウトなのかなど、いろいろ思うところを述べたいと思います。

相手の期待度はどのくらい?

バリバリの語学屋である「通訳」という職業ならば、「聞き取ってもらえない英語はないだろう」と彼/彼女に話しかけるほうも期待するでしょう。そのほか、一流のおもてなしの仕事である「キャビンアテンダント(CA)」や「5つ星ホテルのフロントスタッフ」も、英語がペラペラで当然だという期待を抱かれることでしょう。まず、お客様の話すことをきちんと理解するというおもてなしの基本は、英語のリスニング力の高さと直接的に関連しているでしょう。
一方で、学校の英語の先生が英語ペラペラだとしたら、むしろ「へえ!」と羨望のまなざしを向けられるのではないでしょうか。「あら、あの先生、実はすごいんだ!」という反応かと思います。授業中はオールイングリッシュで指導していくのが昨今の主流になりつつあるとは言え、先生方も留学経験者を抜きにすれば忙しい合間を縫って個人的に会話力を磨き上げるしかないわけです。先生たちの全員が全員、当たり前のように成し遂げられるものではないというのが、学校現場での実際の様相です。
それでも不思議なのは、リスニング力不足に対して向けられる目は、厳しいんですね。先生が英語を「話せない」ことより「聞き取れない」ことに対しては、生徒から見てもシラーっとしてしまうようです。筆者の中高生時代を振り返っても確かに一部の先生にそういう感想を持ちましたし、現役で高校英語教師を務める友人もそのように言っていました。「話せない」ことより「聞き取れない」ことの罪は格段に重く、ALTとのやりとりが成立していないのを生徒に見られるのは公開処刑に等しいほどつらいものだ、とのこと。

筆者の場合は、公立小や公立中に出向いてALTと学校とのコーディネート役をしていますが、現場ですれ違う教員や生徒たちはそこまで本気で観察眼を向けてきません。学校の廊下でALTと話すときも、しょせん雑音の中です。「I beg your pardon?」と恥じることなくALTに聞き返していますし、筆者の身なりもいかにも日本の教育界が好きそうな白シャツに紺のスーツです。これだと教育委員会から派遣された事務のオバサン程度にしか見えませんから、だれにも目に留められず、飾ることなく自分のそのままの能力で堂々と仕事をしています。

「やってみる」勇気こそがブレイクスルー

具体的にどの程度のリスニングと発話ができれば、自分は英語がデキるのだと人に堂々と伝えていいと思いますか? これはとてもあいまいな問題だと思います。TOEIC950点を突破したらでしょうか、あるいは英検1級を取得したらでしょうか、それとも資格に基準を求めるのではなく「英米圏に留学1年」のような経験値で判断してみるとベターでしょうか…。筆者としては、突き詰めても突き詰めてもそこに明快な答えはないと思っています。

いったん英語上級者になったあとは、俗称「トーイッカー」と呼ばれる人たちのように1年中TOEICを受けまくって毎回950点以上をキープするように心がけるのは、1つの向上心のあらわれと言えるでしょう。でも実際、TOEIC問題の英語を全部聞き取れたとしても、ナチュラルスピードのネイティブどうしの会話を半日や1日といった長時間聞き続ける能力はまた別で、英語を使って働くにはさらに高度なリスニング力を要するでしょう。
限られた解答時間にフルパワーで臨む試験のリスニングとは異なる、「そこそこ精度の高い」かつ「持久力のある」リスニング力が必要なわけです。これは耳のスタミナとでも言うべき、英語で仕事をするプロのとしての必須要件だと筆者は考えます。集中力を少しゆるめても、半日なり1日を乗り切れることが大事です。

こうなってくると、もう実際にその世界に飛び込んでしまう以外に、耳の持久力を鍛える術というのは現実的にあまりないんですよね。「迷ったらとにかくやってみる」のが1つの正解のように思えます。そう、自信がなくても思い切って「英語を使う仕事」をしてみてください。募集があれば、応募してみるんです。採用されたあとも最初はもちろんベテラン勢とのギャップに苦労するでしょうけれど、準備万端になるまでじっと待つとしたら、それははたしていつになるのでしょうか? 英語圏で生活をしているのでなければ、日本国内において何時間も英語のシャワーを浴び続けるなんて不可能な環境です。英会話教室はせいぜい1時間、また空き時間に英語の聴解トレーニングをするにしても、1日2時間を割くのが関の山でしょう。1,000時間のリスニングを経たら求人に応募しますか? それとも2,000時間…??

飛び込んだ先で自分を鍛えるというマインドセットがあれば、必ず伸びます。「あぁやっぱり自分は役に立たないんだ」と落ち込む日だって、たまにはあるでしょう。一方で、見切り発進でも英語を使った仕事を始めてみてよかったと思うことも、絶対にあるはずです。

仮に、ある几帳面な人が「2,000時間のリスニングを達成したら、英語の仕事を始めてみよう」という厳格なルールを自分に課したとします。でも、個人の性格の違いで、「準備不足ではあるけれど、とりあえず始めてみよう!」とスタートを切る人もいるわけです。仕事をこなしながら耳の持久力が上がっていくものなので、モジモジして仕事に就くのを後ろ倒しにするより、さっさとスタートを切った人のほうが絶対に得です。
これを on the job training (略してOJT)と呼ぶこともありますね。実務をこなしながら、現場に揉まれながら、少しずつ必要なスキルを身につけていく方法です。
またもう少し格好つけて言うならば、もうあと一歩の勇気が出せないことは「メンタルエラー」と指摘することができます。欧米圏では注意不足や整理力不足以外にも、もうあと一歩が踏み出せないことも1つのエラーとして見る風潮があります。謙遜文化である日本では信じられないかもしれませんが、十分な自信がないけれどもチャレンジして当たり前というムードが欧米各国・アジア各国にありますから、日本人はもっと図々しいくらいに英語を使う現場に出ていいんじゃないでしょうか。

国内で英語を使う仕事はどのくらいある?

通訳/翻訳、ホテルに航空会社がその筆頭ですね。旅行代理店やガイドももちろんです。お堅いものだと政府関連の仕事や、英語教育関連の仕事もあります。とくに教育分野は裾野が広く、学校の先生にとどまらず、塾講師だったり英語試験の採点者だったり、はたまた英語参考書の校正者だったり、探してみると意外にあるものです。貿易関連や放送関連も、英語は必ず必要になるでしょう。海外に住居を移さずとも、国内で英語を使った仕事というのは数えきれないほどあります。
これらの仕事において、求められる英語力にはピンからキリまであるというのが力説したい点です。英語の文書処理能力が必要な職種だと、リスニング力はそこまで重視されないでしょう。場面に応じて、個々の英語力の適性に応じた活躍の場があると言えます。

仕事を得るまでのプロセスは、簡単ではないかもしれません。世界を股にかけて事業をおこなう商社など、国際的企業で正社員として働くのはなかなかハードルが高いかもしれませんね。なぜなら日本は”転職”に適した企業文化ではなく、新卒採用時こそが一生を左右する極めて重要なポイントになるからです。ここを逃すと、「即戦力が求められる中途採用」枠に自分がはたして滑り込めるのがどうか、転職を検討したことがある方ならどなたも懸念されることでしょう。入社後に上司や同僚に育ててもらえるような状況は、たいてい新卒採用時にしか訪れないからです。

それでも、英語を使う環境にひとまず身を置いてしまうことは、今後の自分の伸びを加速させることは間違いありません。「自分は即戦力ではないかも…」と尻込みして中途採用に応募するのをやめてしまえば、1つの英語環境を放棄したことになります。リスニング力の話に戻すと、耳のスタミナを養うのに最適の環境は、ずばり仕事の現場そのものです。気になる求人があれば、応募してみるのがいいでしょう。仮にだめだったとしても、ほかにいくらでも魅力的案件はありますから。

チャンスはまだまだ無限で、今の自分にもっと磨きがかかった状態を具体的に想像できれば、英語を使うプロとしての道が開けてくると思います。そう、準備不足だとしても、飛び込むんです。完璧なふるまいができなくても、それでもいったんその職に就きさえすればプロ集団の一員です。英語を使う環境が、次第に自分の成長を促してくれます。
筆者の場合は、今の自分に不足しているのはリスニング力であることをきちんと見つめられたことがここ2年ほどの収穫で、その気づきは当然みずからを落ち込ませましたが、結果的によかったと思っています。レベルアップするために具体的にどこを攻めていくべきかがわかることは、ひとつ幸せなことであると言えるでしょう。わかっていれば、やるだけですから。わかっていなければ、対策が立てられずにつらいだけです。

まさに筆者は、「見切り発進」で英語関連のフリーランスになりましたが、まったく後悔はしていません。仕事を通して苦手と気づいているリスニング力もやや改善されたように思いますし、聞き取りミスを含めてもそれなりに現場はまわせます。完璧な仕事はできていないけれど、それなりの仕事はできていると感じます。そう、「それなり」ということです。これはいいことでしょうか、悪いことでしょうか、筆者にはわかりません。
最終ゴールが「それなり」に設定されているとしたら明らかに志が低いのでしょうけれど、通過点として「それなり」の期間をしばし経験するのは悪くないと自己弁護したいと思います。この世界に飛び込んだ自分の勇気をもっと称賛したいと言えば大げさですが、始めてみなければ何もありませんでしたから、やはり「それなり」であってもプロの端くれとして仕事の対価を得ていることを誇らしく思います。

どのラインからプロとして認めてもらえるのかは、人によって基準が大きく違うでしょう。
本記事はあくまで筆者の私観に過ぎませんので、ストイックに研鑽を積んでからデビューしたいとお考えの読者様には失礼な内容だったと思います。寛容なお心で、お許しください。お読みいただきありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました