アメリカ近代史を彩る「カウンターカルチャー」って?象徴的な事件7選

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大きな圧力に屈することなく、反抗する。なんだか物騒な言葉ですが。これまでの歴史を振り返ってみると、「世界が変わった」といえる出来事はいつでも、このような人の勇気ある行動が背景にあるような気がします。

この意識が風潮した時代があります。それは、主にアメリカの1960年代。”Counterculture(カウンターカルチャー)”と呼ばれ、このムーヴメントは直訳どおりでした。既存の文化や体制を力強く否定し、独自の文化を生み出していく姿勢を指します。その代名詞となったのが、ヒッピーたちです。彼らは、時代と比例して進行していく消費社会や、利益を裏腹に展開される戦争に対して、自ら服を脱ぎ、平和を謳い、ライフスタイルをもってそれを体現したのです。このアメリカが持つ1960年代は、のちの半世紀を築き上げる礎となったといわれることもあります。

今でこそ、若者を中心とした群衆が集まり、一つのことに対して、時に暴力的に抗うようなことは滅多にありませんが。この時代は、ほぼ日中で運動が盛んであったということです。第二次世界大戦後になお、行われることになったベトナム戦争や、人種差別。この時代背景に、人たちはあらゆるやり方で動いたのです。

畑違いと思われるIT業界にも、このカルチャーは影響を与えました。スティーブジョブズや、GOOGLE元会長であるエリックシュミットも、この激動の時代を青春し、自らの製品のヒントを得たということです。カウンターカルチャーとは、いったいなんなのか。その象徴となった事件を幾つか、ご紹介します。

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【1】ヒッピーの神様、ティモシーリアリーがリード大学で吠える

「TURN ON, TUNE IN, DROP OUT.(スイッチを点けて、波長を合わせろ。そうしたら、全てを変えてしまえ。)」。あらゆる方法で、その一生涯を脳の覚醒を追求することに費やしたティモシーリアリー。彼は、最高学位であるハーバード大学で教鞭を取る一方で、好奇心に従い、薬物を使ってまで研究に夢中になり、やがて国から追われるようになってしまいます。そんな彼が、リード大学の食堂で胡座を掻きながら、放ったこの言葉は、多くの人たちにその解釈と共に語り継がれていくこととなります。ちなみに、このポートランドに所在するリード大学は、あのスティーブジョブズが半年で退学したことでも有名です。

【2】「私には夢がある。」キング牧師が人種差別を終結宣言

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1963年にワシントン大行進で、キング牧師が演説した一言一句は人類の歴史に、かけがえなのない存在感を残しています。人種差別はさまざまな側面は持つものの、この時代は本当に酷かったといいます。バスで席を譲らないだけで逮捕されてしまったり、リンチされるなんてことはしょっちゅうでした。彼の宣言は、世界中の人たちに希望を与えました。彼は、この演説から6年後に暗殺されてしまいます。

【3】ジミヘンドリックは、ベトナム戦争をギター一本で表現した

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ジャニス・ジョプリン、スライ&ザ・ファミリーストーン、サンタナ、グレイトフルデッド。ピンと来ない人の方が多いかもしれませんが、音楽が平和の象徴となっていた時代としては、ヒーロー勢揃いの舞台といえば、ウッドストックフェスティバル。3日間行われたこのフェスは、カウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベントとして語り継がれることになりました。その中でも、ギターの名手として名高い、ジミヘンドリックスが自身の体験を基に、ベトナム戦争の悲鳴や銃声をギターで表現したアメリカ国歌は、音楽界だけでなく、世界を震界させることになりました。

【4】アメリカ大陸を駆け巡る危険なバス、メリープランクスターズ号の旅

1962年に大ヒットした小説「カッコーの巣の上で」の作者でもあるケンキージーが、翌々年にヒッピーコミューン「メリープランクスターズ」を引き連れて、サイケデリックな塗装のバス「FUTUR」号に乗り込み、全米の若者を覚醒させる旅に出ました。特殊なスピーカーで音を発し、強力な照明商材を詰め込み。危険なバスとして、さまざまな方面で話題になりました。ビートルズの楽曲「マジカル・ミステリー・ツアー」のモデルともなりました。

【5】「希望がなければ。」サンフランシスコ初のゲイ公職、ハーヴェイミルクの当選

サンフランシスコには、同性愛者が何の躊躇いもなく、オープンに自分をさらけ出すことができる。カストロ地区があります。ハーヴェイミルクは、この地区のヒーローです。彼は、アメリカで初めて自身がゲイであることを公言した上で当選を果たした、初めての公職者でした。彼は議員に就任して、1年も満たないうちに暗殺されてしまいます。彼の遺言ともされている、誰もがマイノリティのことを考えて、希望を与えながら生きていかなければならないといったスピーチの内容は、20世紀後半に乗り越えた人類の歴史を物語っているようで、感動的です。

【6】20世紀最大の政治スキャンダル、ウォーターゲート事件

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ワシントンD.C.の民主党本部で起きた盗聴侵入事件を契機に始まり、ニクソン大統領の不正をメディアや民衆が弾劾することによって、辞任するに至ったアメリカの政治史に残る事件となりました。これは、ニクソン政権が民主党の動きを察知するために、盗聴をしたことに始まり、この事件を調査する機関を設けるものの、政権自らが解任を命じるといった。明らかに権力で動く政治に対して、世論の猛反発を喰らい、辞任まで追い込まれてしまいました。

【7】アラスカで発見された若すぎる青年の死、最後のカウンターカルチャー

1992年に、アラスカで一人の青年が餓死している状態で発見されました。彼の名は、クリス・マッキャンドレス。映画「イントゥ・ザ・ワイルド」の主人公であり、実在する人物です。彼は、豊かな家庭に生まれて、将来を約束された人生を過ごします。しかし、あまりに金や物ばかりに執着してしまう両親の姿に嫌気が指し、全てを投げ捨てて、放浪の旅に出ます。彼は、死ぬまで、この旅を続けることになってしまのですが、道中多くの人たちに出会います。彼の死後、一人のジャーナリストが、聞き込みの末に書き上げた本。そして、それを映画化した作品は、社会に抗った一人の青年のメッセージとして、多くの人たちの心を動かすことになりました。

なんでもかんでも反対するというわけではないのですが、アメリカ人が直接ものを言うというイメージが強いのは、こうした思ったことを言わないと、のちのちとんでもないことになりかねないという歴史が悟っているからなのかもしれません。カウンターカルチャーは、時に暴力的で、やり過ぎている面もあります。しかし、こうした勇気を持った人がメッセージを投げつけることができるのがアメリカです。

そして、どんな人であっても、努力をすれば夢を叶えることができる。それが、カウンターカルチャーが生んだアメリカンドリームなのです。

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