オーストラリアでバイリンガル子育てを実践してみる♪

オーストラリア
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オーストラリアは、いろいろな人種の人が住んでいますから、あらゆる人種の方が英語ともう一つ、あるいは二つくらい母国語を話せるという方がたくさんいらっしゃる「バイリンガル社会」です。
筆者の娘も英語と日本語という二つの言語を母国語とし、オーストラリアで暮らしています。我が家では、日本に住む子供達が日本語以外の言語の習得に力を入れるのとは逆に、日本語を維持、向上することが日々の課題であり、大変な点です。
そんな我が家の試行錯誤ぶり(笑)も交えながら、バイリンガル子育てについて一緒にみてみましょう!

バイリンガルが特別なことではない社会

冒頭でもご紹介したように、オーストラリアは、多民族国家なので、バイリンガルに育つ子供たちがたくさんいます。通う学校によっても異なりますが、学校のクラスの3分の1くらいは英語以外の言語も家庭内で使っているのではないかと思います。
筆者の娘がまだ赤ちゃんの頃、定期検診にお医者様に連れて行くと、言語の発達なども確認してくれるのですが、その時も普通に「バイリンガルの子供は、言語発達が少し遅れることもあるけど、気にせず、何かあれば相談して下さい。」とアドバイスを下さいました。
バイリンガルキッズがたくさんいるので、バイリンガルによる言語発達の遅れに関しては気遣ってくれるものの、どうやってバイリンガルを維持、向上させるか、ということにはあまり関心がない国でもあります。
筆者の娘の学校では、日本語が外国語科目として採用されていますが、外国語教育に関しても、日本で英語が主要な科目として扱われているのと比べると、それほど親御さんも熱心に勧める科目でもありません。バイリンガルだからといって何か社会がちやほやすることもありません。
やはり、英語圏の国の人には、英語がわかれば世の中なんとかなる、という気持ちが根強いと思います(笑)。

その点、日本では、バイリンガル教育に、親御さんも学校も、そして社会全体が熱心で、あらゆるバイリンガル教材が手に入りやすく、二ヶ国語、三ヶ国語と言語が話せることは「特技」のように扱われがちです。
やはり、日本語がメジャーな言語ではないからこそ!の強みだと思います!
オーストラリアでは、多国籍な家庭の子供でも、すっかり英語以外の言語は忘れて、英語だけを使って人生を送る選択をする子もたくさんいますが、日本なら、バイリンガル子育てがしやすいのではないかと思います!

バイリンガルキッズからバイリンガルな大人へ

筆者の娘は、今のところ、英語も日本語も母国語として使っています。筆者は、必ず娘に日本語で語りかけ、オーストラリア人の夫は必ず英語で語りかけます。そうやって育った娘の英語と日本語を聞いていると、英語は、父親みたいな口ぶりで、日本語は、母親のような言い方をします。本当に性格まで変わってしまうんですよ、言語によって(笑)。
そうして発達した英語と日本語は、それぞれに平行して、交わることなく発達しているようです。
ですから、時折、「腰がかゆい」と言いながら首の下あたりを掻いている、なんて間違いもよく起こります。
英語では、背中でも腰でもbackと言い表わせるので、時々理解が違っている時があるのです。
「晩ごはんよ〜」と呼んだ時も、「今行くよ〜」と日本語では答えますが、英語では”I am coming!”(今来るよ〜)と答えるので、娘には、どっちがどっちかわからなくなって、日本語でも「今来るよ〜!」となってしまうことも多々あります(笑)。
これは、日本語では、「自分が今から、ここからあなたのところに行きます」という自分目線で「今行くよ〜」と言うんですが、英語では「あなたがいるそこにやって来ますよ」という相手目線で”I am coming!”と言うからなんです。言語って表面的な文法などの違いだけじゃない違いがあって奥深いですよね。それを違うとは思わないバイリンガルってやはり便利で羨ましいです(笑)。

こういった事例は日常茶飯事ですので、筆者の家では、英語と日本語でそれぞれ話すだけでなく、わからない言葉や表現に出会った時は、英語でわからない言葉を日本語でも言ってみるようにしたり、日本語でわからない言葉を英語で説明して、英語でも言ってみる、というように、両言語で理解するようにしています。そうすれば、両言語が交わって、うまく両方の言葉で表現できるようになるかな、と思うのです。

テレビや映画もただただ見ているだけだと、英語と日本語の平行線での発達ぶりをずっと突き進んでしまう気がして、父親か母親がトイレなどで席を立ったら、”What did I miss?”「何見逃しちゃった?」と言って、日本語と英語両方で内容を教えてもらうようにしています。

本を読む時も、日本語の本でも英語の本でも、”What do you think will happen?”「この先どうなると思う?」などどちらの言語でもいいから話すようにしています。
どちらの言語も母国語として使いこなせるだけでなく、一方の言語の細かい部分や伏線ももう一つの言語で理解、表現できるようになって、日本人でもあり、オーストラリア人でもある大人に育ってほしいという願いを込めて。

とは言いながら、現実は、「漢字も練習しないと忘れちゃうよ〜!」と鬼のように厳しく遊びたがりの娘に一生懸命発破かけて練習させるのですけれどね(笑)。
やはり、練習する意味が理解できないとやる気が出ないものです。
手紙をおじいちゃん、おばあちゃんに書いたり、漢字を書くことに、楽しい意味を持たせてなんとか練習しています。

バイリンガルであることはグローバルであることではない

よく日本でも言いますでしょう「グローバルな人材を育てる」と。
日本では、そのグローバルな子を育てる一環としてバイリンガル教育も推奨されているような気がします。
バイリンガルになって、欧米諸国のように自分の意見を主張できるようになって、相手を説得できるようにしよう!といった風潮があるように思います。
それはそれで大切なことだけれど、日本語にある心遣いや丁寧さも織り込んで「自分らしさ」が確立できたらさらに素晴らしい!と思います。

日本で教育を受けて、大人になってからオーストラリアに住むようになった筆者には、英語そのものはそんなにグローバルな子を育てるのに大きな部分を占めていない気がします。
例えば、オーストラリアの人と何か交渉するにしても、英語ができるできないではなく、「英語を練習してもっと相手にわかってもらいたい」という熱意や、「英語でコミュニケーションして、あなたのことをもっと理解したい」という真摯な態度のほうがずっと相手に響いていると思います。
バイリンガルであることは便利ですし、お勧めですが、将来を担う子供達には、バイリンガルのその先にある、交渉力とかディスカッション能力といったような技術でなく、言語や文化の違いを壁と感じない温かい人間力のある子に育ってほしいな、といつも願っています。

なんだかカッコつけたことばかり言ってしまいましたが、バイリンガルを目指す我が家の娘の日本語や英語の間違いは、いつも笑えます。
トーストが焦げた時、「こげちゃった」と言ったら、娘が「とけちゃった?!」と言うので、「いや、こげちゃったの」と言うと「こけちゃったの?」ですって(笑)。面白さ満点なのでそれはそれでよし(笑)。

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