「グローバル教育」=「英語ペラペラ」ではない (前編)

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こんにちは、ころすけです。娘の中学受験準備にともない、最近は都内の中高一貫校の説明会によく出かけています。そんななか、どの学校もこぞって「グローバル」という言葉をキーワードに、それぞれの教育指針をパンフレットで示しています。
「グローバルリーダーの育成」、「ますます加速するグローバル社会を見据えて」、「グローバルセンスを磨く」、「グローバルな視点で考える大人に」、「グローバルスタンダードの学力を」…などなど、とにもかくにも「グローバル」という言葉の出現率が高く、見慣れてしまったがゆえの訴求力のなさが個人的には気になっています。今回はそんな旬の「グローバル教育」に焦点を当てて、その実態を掘り下げていきましょう。子育て中の読者様がいらっしゃいましたら、ご参考となりますと幸いです。

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ものごとを地球規模で見る子に育てる!

まず「グローバル」という言葉で想起するのは、「英語が話せる」ことではないでしょうか。英語ができないことには、日本という国を出てなにかしらの活躍ができることはイメージしにくいからです。子供にグローバル教育を受けさせたい親は、やはり子供には「英語が話せるようになってほしい」と願うものです。それは当然だと思います。
ではここで質問です。「グローバル教育」とは何でしょうか?これを定義するには抽象的な言葉を用いなくてはいけません。自国と他国の両方に精通し、問題を発見し、取り組み、「地球規模」での解決を導けるような人材を育てるのが「グローバル教育」です。
ですから、他国にしわ寄せが行くのに目をつぶって、自国は「問題解決!」とポーズを決め込むのは絶対NGです。このような我田引水の考え方は、アンチ・「グローバル教育」と言ってもよいでしょう。他国に問題を押し付けてしまえば、地球規模で眺めてみるとこれはただの問題の先送りにすぎないのです。地球すべてに目を向けて、広い視野での問題解決に取り組む姿勢が望まれます。こうしたアプローチができる人材を育てるのが、「グローバル教育」というわけです。

英語が話せなくては活躍できないの?

さあ、では英語力についてはいかがでしょうか。英語が話せるに越したことはないのですが、それははたしてグローバル人材としての「必須条件」なのでしょうか?
もしも「英語ペラペラ」という素養をグローバル人材の必須条件にしてしまえば、「英語の読み書きはできるけれど、英会話が苦手」な日本人はすべてグローバル人材には当てはまらないと言うことになります。でも、探してみれば日本という枠を超えて世界という舞台で活躍している人ってたくさんいますよね。国内産業の技術を海外の問題解決に用いているインフラ事業の日系企業を例にすれば、実際に現地に赴くのはもちろん英語が話せる社員なのでしょうけれど、指揮系統である日本オフィスの経営陣たちは(英語が話せなくても)”地球規模”での発展を本気で願うグローバル人材なわけです。本気で「○○国の土壌汚染問題を救いたい」と願って、行動を起こせる人って、仮に日本語しかできなくても非常に価値のある人材だと思いませんか。いっぽうで完全なバイリンガルでも、問題発見力や解決力に欠けるならば、グローバル人材としては微妙な立場に置かれるでしょうね。広い視点でものごとを見られないと、自分の(自社の/自国の)利益の確保が最優先事項であるばかりか、それがすべてになってしまうからです。
繰り返しになりますが、グローバル人材とは、(英語が話せるなら話せるに越したことはないが)地球規模での問題発見・解決にあたることのできる人材のことです。それでも現実的には、英語が話せることにより組織の内外でコミュニケーションが密にとれることから、英会話力は求められるということです。

中学・高校でどこまで指導できる?

英語に焦点を当てれば、英検やTOEFL / TOEIC を受けることではっきりと語学学習としての習熟度を知ることができるでしょう。しかし、抽象的な問題発見力だったり解決力だったり、こうした人間力に付随する分野のことは具体的なスコアではかることは不可能です。学校できちんと指導はしているつもりでも、はたしてどこまで指導の成果があったのかはきわめて不透明なものです。子供たちが社会人になってはばたくときこそ、その成果があったのか/なかったのかが明らかになるのではないでしょうか。
ゆえに、学校が保護者に自校のアピールをするには、どうしても”語学学習”を中心として「こんな成果が出ています」とうたいがちです。「高3時点での英検準1級取得者が○名」、「海外大学への進学者が○名」、「××大学国際教養部合格者が○名」、「1ターム以上の留学者が○名」など。
高校卒業時の”仕上がり”として、親も「英語が話せる子になっていてほしい」と思っているのが一番多いパターンでしょう。英会話力がそこそこついている我が子に対して「教育の成果があった」と考えるのが親です。こうなると「英語でおこなわれる授業や会議に出席できる」日本人を大量に算出するのが、ひとまず現実的な日本の教育の命題でしょうか…。教育費を捻出する親の理解を得てこそ、学校経営の資金も確保できるわけですから仕方ありません。保護者ファーストです。保護者はわかりやすい成果を求めますから。
ですから、どのように思考を組み立てて、どのように牽引力を発揮してまわりを巻き込み、どのように具体的行動に落とし込んでいけるかは、実際は「うちの子ができたらラッキー」程度にしか思われていない分野でもあります。それに対して、英語力については「何がなんでも徹底的にやってもらえるんですよね??」という保護者からの熱烈な期待を学校側はかけられています。残念ですが、学校も保護者もわかりやすい効果測定ができる”英語力”のほうに注力しがちなのが現状となっています。

リーダー育成のためのプログラムも

それでも問題発見力や問題解決力を生徒に身につけさせるために、学校側は授業のあり方に細々と手探りで、工夫を重ねています。個人で問題解決に無理やりこじつけようとはせず、仲間の力を借りながら「組織として」問題解決に向かうための方策を伝授している学校もあります。これこそ、リーダーシップ養成と呼ばれるものです。これも実は「グローバル教育」の一部と考えられています。
こういうことを自分は問題視していて、こういう着地を望んでいる、というビジョンをまずグループ内で明確にします。リーダーとはあくまで”組織の長”です。それ以上でも以下でもなく、ましてスーパーマンではありません。リーダーもただの1人の平凡な人間です。それでもグループ員の長所短所をよく心得たうえで適切な指示を出して分業させ、望む結果に一歩でも近づけるというリーダーならではの仕事を経験させるのです。これが「語学の壁を突き破って」前に進む能力の育成につながるというわけです。グローバル化社会の中では、リーダーシップというのは実はとても大事な資質です。実際に肩書きがリーダーであるかどうか、ということは関係ありません。自分が人の協力を得ながら、望む未来に向けて進んでいくことこそがこの話の焦点です。
実際の社会人のケースを想定してみましょう。リーダーみずからが英語ができるに越したことはありませんが、語学面はほかのプロフェッショナルに外注できるというオプションを常に頭の片隅に置き、自分はほかの重要なことに集中するという方法をとるのもまた1つです。また英語圏ではない国や地域とやりとりをするときには、語学の壁によって単にあきらめてしまうのではなく、「だれかに頼りながら」実現していけばよいのだと考えられるようにするのが「グローバル教育」の1つの側面でもあります。だれかスペイン語ができる人を探そう、だれか現地在住の人に報告を頼もう…など、ひとりで解決しようとせず、だれかの力を借りながらプランを進行するのが「グローバル教育」の流儀であると言っても間違いではないでしょう。地球規模の問題向き合うには、そもそも個人レベルでは歯が立ちませんから。

では後編でもう少し「グローバル教育」について見ていきましょう。

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